2019年 07月 06日
若い芽 |
東北芸術工科大学3年生(金工、陶芸、テキスタイル、漆芸)の野外展覧会を、自分が教えた卒業生も出品しているので見てきた。事前に、作品の内容も教えられたが、ほとんど自分の製作した作品と考え方はほぼ同じだったので、それを若い年代の感性でどのように解釈されるのか興味があった。
卒業生の作品。このような作品は設置方法で作品の内容が変わるのだが、「学食」から見える場所などという理由で、もっと適した場所があるにもかかわらず、今回の場所に設置したのはかなりのマイナスになってしまった。
自分の作品を知っている人が見たら、パクリだと思うほどの出来映えだった。この学生の場合は、その対象者である自分に敢えて了解を求め、ある意味挑戦を挑んできたのであるから、快く引き受けた。見たときの率直な感想は、「ウマイ」だった。しかし、本人とも話したが、自分は「ウマイ」作品は作りたくない。これを理解してもらうためには自分の話術では物足りなかったが、逆に明快に説明するより共に考えるという意味でよかったのではと思う。
スマホの撮影ではあるが、その点をカバーして撮った。
以下、目に付いた作品5点。一つ一つの論評をすると、くどくなるのでやめる。
しかし、どの作品にも言えるのだが、若い世代の独創性とは何なんだろうと考えさせられる。この世界における独創性は絶対だと思う観点からすると疑問があるというか物足りない。情報過多のご時世に、独創性なんて存在するのかという声もあるが、そもそも独創性という解釈も難しい。縄文時代、交流のあり得ない人間社会において、同じような文化と同時に、同じような文様の土器類が作られたことを、「パクリ」とかたづけることはできないのと関連してくる。
自分の「もの作り」の根底にあるのは、頭と手を働かせて、ある程度の時間をかけて、試行錯誤(モノとの対話)を重ねて作り上げることなのだが、今回の学生の多くは、同様の姿勢を感じさせてくれたので、この大学の指導方針が感じられ、気分良く帰ることができた。
by hd-domon
| 2019-07-06 21:51
|
Comments(2)