2016年 03月 30日
鳥海山 |
「恵みの山」鳥海山は、3日間とも、真っ白に輝く神々しい山塊を見せてくれた。遊佐町民はどこからでも当たり前に眺めているが、麓から山頂までの全容を、こんなに迫力のある姿で見せてくれる山は他にない。海岸から一気に2000mを超えて聳える山は、鳥海山だけである。
この鳥海山のおかげで、遊佐町は湧水の里としても有名で、月光川、日向川が庄内平野を潤している。海岸から標高55mの庄内砂丘を越えた所にある我が家は海抜10mであるが、手掘りをしただけでおいしい真水が湧いてくる。海岸の波打ち際にも、鳥海山からの伏流水が湧き出ているくらいだ。
圧迫骨折で寝た切りを宣告された97歳の親父は、鍬を持って畑を耕すまで蘇った。見た目はみすぼらしい親父だが、中身は化け物だ。今回、娘婿が釣ったノドグロを実家に送ってもらったので、刺身にしてたべさせたところ、「こんな~んめ~さがなはじめてだ。このあだりのうみにはえねの~」と言いながら食べた。 「とかち」と孫達も、時間によって刻々と変化する鳥海山を眺め、海岸ではこの時期にしては珍しい日本海の落日を見ながらはしゃぎ回っていた。
庄内地方は、北前船の影響もあり、豪華なお雛様が有名で、雛街道と称して4月3日まで公開されている。孫達にも見せておこうと行ったが、肝心の「本間様」のお雛様は撮影禁止だった。その点、鶴岡の致道博物館には無粋な看板は無かった。
我が家の畑からの鳥海山。いつ見ても飽きない。手前は下ごしらえの終わった畑。
剪定を終えた柿の木と鳥海山。造形的な樹形にした。
日本海の落日。渚ではしゃぐ孫達と「とかち」
残念ながら水平線上に雲がかかって、決定的瞬間は見られなかった。
「本間様」の旧本邸。酒田大火にも耐えた。松の木が歴史と栄華を感じさせる。
「名残雪」にとかちは興奮。後方は月山。
霜で白くなったあぜ道に、ネズミの気配を感ずるとかち。背景は朝陽に眩しい鳥海山。
おんぼろハウスで耕す97歳の親父。この後、種を蒔いた。
娘婿が釣って送ってくれたノドグロの刺身。ウロコを取っただけの皮付きのままが美味しい。親父は本当に旨そうに食べた。
この鳥海山のおかげで、遊佐町は湧水の里としても有名で、月光川、日向川が庄内平野を潤している。海岸から標高55mの庄内砂丘を越えた所にある我が家は海抜10mであるが、手掘りをしただけでおいしい真水が湧いてくる。海岸の波打ち際にも、鳥海山からの伏流水が湧き出ているくらいだ。
圧迫骨折で寝た切りを宣告された97歳の親父は、鍬を持って畑を耕すまで蘇った。見た目はみすぼらしい親父だが、中身は化け物だ。今回、娘婿が釣ったノドグロを実家に送ってもらったので、刺身にしてたべさせたところ、「こんな~んめ~さがなはじめてだ。このあだりのうみにはえねの~」と言いながら食べた。 「とかち」と孫達も、時間によって刻々と変化する鳥海山を眺め、海岸ではこの時期にしては珍しい日本海の落日を見ながらはしゃぎ回っていた。
庄内地方は、北前船の影響もあり、豪華なお雛様が有名で、雛街道と称して4月3日まで公開されている。孫達にも見せておこうと行ったが、肝心の「本間様」のお雛様は撮影禁止だった。その点、鶴岡の致道博物館には無粋な看板は無かった。
我が家の畑からの鳥海山。いつ見ても飽きない。手前は下ごしらえの終わった畑。
剪定を終えた柿の木と鳥海山。造形的な樹形にした。
日本海の落日。渚ではしゃぐ孫達と「とかち」
残念ながら水平線上に雲がかかって、決定的瞬間は見られなかった。
「本間様」の旧本邸。酒田大火にも耐えた。松の木が歴史と栄華を感じさせる。
「名残雪」にとかちは興奮。後方は月山。
霜で白くなったあぜ道に、ネズミの気配を感ずるとかち。背景は朝陽に眩しい鳥海山。
おんぼろハウスで耕す97歳の親父。この後、種を蒔いた。
娘婿が釣って送ってくれたノドグロの刺身。ウロコを取っただけの皮付きのままが美味しい。親父は本当に旨そうに食べた。
by hd-domon
| 2016-03-30 05:44
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